大英博物館展とルイス島のチェス


制作記録ではありませんが、チェスを研究する立場として注目すべき展示があったので報告です。

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本日から神戸市美術館で開催されている大英博物館展に行ってきました。目的はもちろん世界最古のチェス「ルイス島のチェス」
ボビーフィッシャーを探して、ハリーポッターなど様々な映画に登場しているので見たことのある人も多いはずです。
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前日から友人宅に泊まって所有している海洋堂製のレプリカで対局して気分を盛り上げてました。後手の赤が私。惨敗です。

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実物は撮影出来ませんが、エントランスには巨大な駒の撮影ブースがあります。

ミュージアムショップではレプリカの駒も何種類か販売していて大英博物館の倍以上の価格設定のようで高すぎるのが難ですが、家にあるレプリカのセットよりはオリジナルに近い造型だったので資料として泣く泣くナイトを購入しました。

DPP_4577右端の白っぽいものが今回のレプリカ。真ん中は海外製のオリジナルサイズのレプリカセットのもの。左が海洋堂のミニチュアセットのものです。

比べてみると真ん中の物は細部が省略されていたり、手足が平面的で、汚しも強すぎる気がします。

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ルイス島のチェスの見所はキング、クイーン、ビショップの椅子の後ろに掘られた模様です。殆どの人は正面から見ているだけでしたが、一番美しい部分なので見る機会のある方は是非。本物はセイウチの牙で作られていることもあり、質感、造型ともにこのレプリカよりもはるかに美しいです。

 

1月11日までという長期開催なので、興味のある方は是非。私はあまり興味がありませんでしたが、他にも多数の歴史的な資料が展示されていて、見ごたえがあると思います。

イタリア旅行⑦(ローマ後編)


 

 

思っていた以上に長く掛かってしまったイタリア旅行記もこれが最後。

二日間滞在したホテルを離れ、空港に向かう前にもうすこしだけ観光します。

 

DPP_1120_R見えてきたのは古代ローマの象徴とも言える建造物。

コロッセオ_Rのコピーそう、コロッセオです。こんな建物が存在すること自体信じられないと思えるほど巨大で、異質な存在感を放つ建物でした。

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DPP_1616_Rここにも観光用の馬車。朝早かったこともあり人は少なかったですが、ちらほらと露店が仕事を始めるところでした。

コロッセオは過去地震で外壁が崩れたりしているそうですが、現在大規模な修繕工事が始められているそうで、一部に足場が組まれていました。

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DPP_1617_R周囲にはコロッセオ以外にも色々な古い建物がありました。

そしてほんの30分くらいで次の場所へ移動。昼過ぎの飛行機に乗るので慌しくなるのは仕方がないのですが、ゆっくり見たいと思っても立ち止まれないのはツアー旅行の辛いところです。

 

トレビの泉_R_Rそしてバスで移動した先はこれも有名なトレビの泉です。

後を向いてコインを投げると願いがかなうという言い伝えがあり、観光客はここでコインを投げ込みます。

以前世界ふれあい街歩きという番組で紹介されていたのですが、世界的に有名な観光地とあって、ここに投げ込まれるコインの数が膨大で溢れてしまわないように、早朝にコインだけを吸い取る機会で回収しているそうです。ちなみに回収されたお金はローマ市から慈善活動の支援に使われているのだとか。

DPP_463_R DPP_464_Rここでの滞在時間もほんの20分ほどだったのですが、その間にトレビの泉の傍にある靴屋さんで本革の良い雰囲気のグラディエーター(ローマンサンダル)を発見。移動まで残り10分ほどしかなかったので急いで店員に身振り手振りでこれが欲しいと伝えると、サイズを測りもせずにぴったりのサイズの物を出してきてくれました。さすがプロです。

以前から本革の物を探していたのですが、日本で見かけるものはジッパーが着いていたり合皮製だったりする物が多く、古典的なデザインの物が中々見つかりませんでした。

しかしまさか本場のローマで購入することになるとは。

 

DPP_1130_R買い物も無事終えてトレビの泉から徒歩で少し移動します。

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DPP_1140_R DPP_1139_R移動中にまた車を少し。黄色い車はクーペフィアット。日本では見かけたことのない車です。

白いのは宮崎駿監督のカリオストロの城でルパンⅢ世と次元が乗っていたフィアット500。こちらも古い車なので今ではあまり見かけない車です。現行バージョンもある車なので今ではイタリアでも珍しいそうです。

 

DPP_1614_Rそして次の目的地に到着。スペイン広場です。

ローマの休日で王女がジェラートを食べるシーンでよく知られていますが、その後王女がコーンの部分をポイ捨てする事から同じ行為をする人が多いらしく、現在は飲食禁止区域になっています。なんとも残念な話です。

日本の映画「アマルフィ」のロケにも使われており、織田裕二がこの階段を駆け上がっていました。アマルフィは映画としては雰囲気に欠け今ひとつでしたが。

スペイン広場_Rかなり歪んでしまいましたがパノラマで撮るとスペイン広場前はこんな感じです。昼が近づいてきたので人も結構多くなってきました。

DPP_1615_R教会へ続く階段はトリニタ・デイ・モンティ階段といい、通称スペイン階段とも呼ばれるそうです。

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DPP_1137_R階段の上にはトリニタ・デイ・モンティ教会が建っています。

 

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スペイン広場を離れると最後の目的地、ローマ三越で休憩(という名目のツアーの買い物時間)を取りました。イタリアまで来て日本の店に行くというのは何とも変な気分です。

 

DPP_1141_R近くには古代の浴場の遺跡もありました。

 

DPP_1143_R観光を終えてレオナルドダヴィンチ空港に到着。ランチ済ませたら終にイタリアとお別れです。

DPP_1144_Rアリタリアイタリア航空の飛行機に乗り込みます。この柄もなんだか随分見慣れた気がします。

イタリアの航空会社の接客態度には驚きましたが、お国柄の違いでしょうか。スマホをいじったりガムを噛んだりというのが普通に職務中に行われていたので衝撃でした。

 

帰りの便は電子機器に不調があったらしく、映画を見ようとうすると音が正常に流れませんでした。イヤホンの故障かと思いましたが、電子的な雑音や音の欠落があり、添乗員に聞いてみると他の座席でもいくつか起こっていたようで、座席の交代も出来なかったので帰りの飛行時間はとても退屈でした。

DPP_1145_Rだんだんと空が暗くなっていきます。約12時間かけてまた日本に帰ってきたのでした。

これでようやくイタリア旅行記は終了です。夢中で撮影したので写真が膨大で、取り上げ切れなかった所もありますが、見てきた物の雰囲気は掲載できたと思います。

初めての海外旅行だったので、出発までとても不安でしたが、いざ行ってみると自由行動中も案外普通に買い物も出来、値段交渉したりと、思っていたよりも気負わずに楽しむ事ができました。

今回は新婚旅行だったので少し高めのツアーでしたが、今度は少しでもイタリア語を覚えて個人旅行で行くのを目標にしたいと思います。

 

 

最後にローマのお土産を紹介。

DPP_481_R小さな玩具店で見つけた古代ローマ兵のプレイモービル。3体セットでとても可愛いです。

DPP_482_R同じく玩具店で購入したトランプ。

DPP_483_R日本人にはあまり馴染みがありませんが、トランプには地域札というものがあり、国によって枚数が違うものがあります。現在日本ではトランプといえば52枚ですが、これは所謂英米式のカードで、イタリアでは40枚、ロシアでは36枚といった具合に差があります。逆に日本よりも多い場合もあり、100枚以上の国もあるようです。

タロットをやる人なら気付くと思いますが、この地域札の柄はタロットカードの小アルカナに類似しています。スートもスペード・ハート・クラブ・ダイヤではなく、剣・カップ・杖・コインとなっています。

このように日本のカードとは大きく違う地方札があるため、海外旅行に行ったらその国のトランプを買うのが一番いいお土産になるのではないかとずっと考えていました。

 

DPP_466_R旅を通して集まったキーホルダー&ピンバッチ。イタリア製のものは8点ほど。残りは多分中国製です。イタリア製の物は価格が高めということもありますが、それ以前に、目に付くお店においてあるのはかなりの割合で中国製だったので、イタリアのお土産事情が心配でした。

 

今後はまた制作記録を掲載していく予定です。旅行日記にここまでお付き合い頂き有難う御座いました。

 

松井 弘明

 

イタリア旅行⑦(ローマ中編2)


旅行から実に半年ほどが過ぎてしまい、年も越してしまいましたが、イタリア旅行記です。内容がやはり多すぎるので中篇を1,2に分ける事にしました。

DPP_789_R DPP_790_R DPP_791_R DPP_792_R市街地を抜けると古代ローマの遺跡が見えてきました。ここは旅行で見た遺跡の中でも特に広い範囲に建物が残っていて、本当に古代の町が一つ目の前に現れたような印象です。

現在でも調査している所も多いようで、何度か作業をしている人を見かけました。

ローマ遺跡2_Rパノラマで撮るとこんな雰囲気です。これでもまだ収まりきりませんでした。

DPP_795_R DPP_796_R DPP_797_R遺跡を通り過ぎ、ヴェネツィア広場のあたりに戻ってきたところで再びべスパの大群と遭遇。

二人乗りばかりであるあたり、ローマの休日とべスパの愛好会のようなものなのかもしれません。ガイドの話では今はイタリアでもべスパはあまり一般的に見かける車両ではないと言っていたので、珍しい光景かもしれません。

DPP_798_R DPP_799_Rヴェネツィア広場を抜けると、しばらく大通りからはずれ、次の目的地までは小さな路地を歩いてまわりました。

DPP_801_R DPP_800_Rなんでもない建物、道、一つ一つがとても美しく、景色が移り変わる旅にイタリアを感じる事が出来ました。

DPP_803_R DPP_804_R DPP_805_R初めての海外旅行でしたが、一番楽しかったのは、食事より美術館より、ただ普通の道を歩くという事であったように思います。

DPP_807_R特徴的な彫刻を過ぎて、

DPP_808_R DPP_809_Rとても古い建物を横ぎり

DPP_810_R広場に出るとまた馬車が。

DPP_811_R振り返ると先ほどの古い建物の正面が見られます。ギリシャの神殿のようですが、何の建物か分からなかったので後日分かれば追記しておきます。

DPP_812_R目的地はもうすぐです。

DPP_817_R美しい建造物とかなり大きい広場に出ました。ここが目的地ナヴォーナ広場です。

DPP_813_Rこの広場にある噴水が目的の場所です。

DPP_815_Rネプチューンの噴水。天使と悪魔で司祭が沈められ、ラングドンが助けに入った場所です。映画では柵はなかったようですが。

DPP_816_R広場は露店が多く、絵を売っている作家らしき人も多くみられ、とても活気のある場所でした。

近くにチェスを多数扱うお店もありましたが、店内なので写真は控えました。

DPP_818_R DPP_819_R DPP_820_R DPP_821_Rナヴォーナ広場を越えるとまた古い建物に囲まれた裏通りに入りました。

DPP_822_R DPP_823_R途中とても美しいバイクに遭遇。ロイヤルエンフィールドです。とても佇まいの美しい車体で、石畳の上、日の光に照らされて、何ともいえない雰囲気でそこに立っていました。

DPP_824_R少し曲がった道を抜けると

DPP_825_Rチェスの対局をしている人々が。個人的なイメージではもっとあちこちで対局している人がいるかと思いましたが、これが初めての遭遇でした。

DPP_826_Rそしてまたミニクーパー。本当に絵になります。

DPP_827_Rそしてサンタンジェロ城に到着。

DPP_828_R中は展覧会か何かをやっていたようですが、橋を渡って、外観を見て満足したので入場は見送りました。

DPP_829_Rサンタンジェロ城の脇に止められていた軍用車両。ランドローバーディフェンダーのようですが、ディフェンダーの軍用版でウルフという車両があるそうなのでそれでしょうか。ディフェンダーは好きな車ですが、軍用車両があるのは知りませんでした。ディフェンダー自体が軍用っぽいアウトドアな車種なので、不思議ではなかったのですが。

※その後調べたところ、イタリア軍で採用されている車両はランドローバーウルフに酷似しているものの、車両としてはあくまでランドローバーディフェンダーベースのもので、ウルフで強化されたシャシーなどは引き継がれていないとのこと。

DPP_830_R車ではないですが、少し面白いと思った清掃用と思われる車両。なんだかノミのようでユーモラスな姿です。

DPP_831_R DPP_832_R DPP_833_Rイタリアでは道が古く狭いため、また駐車スペースの確保の難しさから、一般に小さな車が人気のようです。

初めて日本でスマートを見たときは変わったシルエットだなと思いましたが、今のイタリアではむしろスマートを初めとした小型の車が多く走っています。

小型といえば日本の軽自動車が走っていてもよさそうなものですが、見かけることはありません。

聞くところによると、日本の軽自動車は独自の基準で進化してきたため、今のままでは海外の基準に適合出来ず、販売出来ないのだそうです。日本市場では多くを占めていながら、携帯と同じガラパゴス化の道を辿ってしまったため、現在各社で輸出のための方法が議論されているのだとか。

さて、次で本当に最後です。後編はローマ最終日。そしてイタリア最終日です。

イタリア旅行⑦(ローマ中編1)


最近忙しいので中々更新できませんでしたが、ようやくローマ中篇です。一日中フリータイムで写真が多くなってしまったので中篇は1,2に分ける事にしました。

DPP_764_Rここで少しイタリアのバイク事情をご紹介。

イタリアのバイクメーカーとしてはドゥカティ(Ducati)、アプリリア(Aprilia)、それにべスパで有名なピアッジオ(Piaggio)などがありますが、街を歩いていてむしろ良く見かけたのはドイツのBMWと、この写真のイギリスのトライアンフ(Triumph)です。

DPP_92_R今回訪れた街では大抵の街で見かけました。トライアンフは大排気量の車種がメインなのか、大型ばかりでした。

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クラシックバイクが好きな人には馴染みのある名前ですが、日本ではあまり見かけないメーカーだと思います。戦前から存在し100年以上の歴史がありますが、多くの会社と同じように何度か名前が変わったり経営者が変わったりしているようです。

イタリアは道が狭い街が多く、歴史地区などの場所によっては車は通行不可でバイクは可という場合もあるので、重宝するようです。チヴィタの一本橋も住民はバイクで移動してよいのだとか。

日本は戦前のオートバイメーカーとしては陸王、メグロなどがあり、一時は警察に採用されていた時期もありましたが、設計は海外の旧世代のバイクのコピー(陸王は元よりハーレーのライセンス生産)で、大排気量、大型であったため、戦後のより日本の風土に合った車両を求めて起こった小型化戦争に対抗出来ずメグロの終焉を最後に全滅してしまいました。

イギリスのブラフシューペリアやヴィンセントのように美しいバイクを作りながらも消えてしまったメーカーもありますが、それでも欧州ではまだ古いメーカーが残っているようで羨ましいです。

DPP_765_Rさて、話を戻して次の目的地に向かいます。

DPP_766_Rそうそう、イタリアはパトカーも洒落ています。イタリアでは警察はポリツィアと言いますが、その車両は水色に近い鮮やかなブルーにホワイトのラインの入った精悍なデザインです。

数年前にランボルギーニ社がイタリア警察の125周年記念としてランボルギーニガヤルドの特別仕様車、ガヤルドポリツィアを寄贈したのですが、その車両も同様のカラーリングでした。

世界最速のパトカーと言われ、訓練を受けた少数精鋭で運用されていましたが、その後急に飛び出してきた車を避けて駐車中の一般者に正面衝突、大破するという憂き目に。ランボルギーニの車両のなかでも一番好きな車だったのでとてもショックでした。幸いけが人は一人もなかったそうですが。

DPP_768_Rとまた脱線しているうちに目的地が近づいてきました。イタリアの車やバイクは話したい事が多すぎて困ります。

DPP_769_R目的地に到着。

DPP_776_Rサンタ・マリア・デラ・ヴィットリア教会

映画「天使と悪魔」にも登場する場所です。

DPP_774_R DPP_773_R DPP_772_R DPP_771_R DPP_770_R規模的にはそれほど大きな教会ではないのですが、中に入るとその贅を尽くした内装に驚かされます。

教会が一種の娯楽としての色の濃かった時代のものだと聞きましたが、現在でも出入りしているのは観光客が多い印象でした。

DPP_767_RDPP_775_R教会を出ると近くにふんぞり返った石像が。なんだか面白かったので誰かも分からないままパシャリ。

DPP_780_R DPP_779_R DPP_778_Rしばらく歩いていると見た事のない古そうな車を発見。この時はシトロエンということ以外分かりませんでしたが、調べてみるとシトロエンAMI 8という車種でした。風変わりなフェイスも面白いですが、サイドから見たときのリア周りのシルエットが見た事のない独特な形でした。

DPP_784_R通りがいい雰囲気だったのでえりなさんに被写体になってもらって一枚。

DPP_781_R少し道を外れると市場に遭遇しました。

DPP_782_R服、本、果物など、様々な物が並んでいます。果物屋さんのフルーツがとてもおいしそうだったので、値段も買い方も分からないまま身振り手振りで白ブドウを購入。二人で食べて少しもてあますほどの量で、300円くらい。後々調べると市場の果物はとても安いようです。それにとても新鮮でした。

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大きな建物の前でブドウを食べながら少し休憩。

DPP_787_Rここまでにかなりの距離を歩いているので、相当の疲労感に襲われつつも歩いていると、大通りにべスパの群れが出現。写真で伝えきれませんが、20台近くはいたのではないでしょうか。

DPP_788_R大通りから少し入ると、市街地らしい地区に出ました。

DPP_786_R階段で座って休憩しながら、ふと上を見上げると鉄格子から猫が顔を出していました。

DPP_785_Rヨーロッパの猫は日本の猫より顔が小さいような気がするのですが・・・気のせいなのか種類的にそうなのか。

ローマ中編はここまで。まだまだ紹介する場所があるので後編に入りきるのか不安です。次は間を空けずに書きたいところですが、最近忙しいのでどうなることやら・・・。

イタリア旅行⑦(ローマ前編)


また間が空きましたがイタリア旅行ローマ篇です。

ローマに到着した日はほぼバチカン市国しか観光出来ませんでした。滞在二日目は一日フリータイムなので、ホテルからバスに乗ってローマの中心あたりにあるヴェネツィア広場へ移動。そこから徒歩で観光スタートです。

DPP_758_Rヴェネツィア広場の前には一日目に見た巨大な建造物、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂があります。

DPP_759_R贅を尽くしたといった作りの建造物ですが、ごてごての装飾に真っ白な外壁は少々派手で、街並みから浮いているような気もしました。

DPP_793_Rこの建物、巨大ですが、市役所でもなければ教会でも、貴族の館でもありません。訪れた時は何のための建物なのか分かりませんでした。

DPP_794_R調べてみると、イタリア統一を果たした初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の功績を称えて建造されたものなのだそうです。

しかし住民の間では街の景観に合っているとは言いがたい外観から、ウェディングケーキ、入れ歯、タイプライターなどと呼ばれあまり歓迎されていないそうです。

DPP_760_R建造の際に元々あった中世の街並みを撤去して建てられたらしく、古い建物を残す運動を大々的にしているイタリアにあって、珍しく疑問に感じる建物でした。

DPP_756_Rさて、この日の最初の目的地はローマの休日で有名なアレのある場所です。ローマは建物は古いとは言え、全体的にアスファルトで舗装されているため都会的な雰囲気ですが、歩いていると所々に古代ローマ時代の遺跡が残っていて不思議な時代感覚に陥ります。

DPP_750_R少し歩くと円形の古い建物が。良く似ていますがコロッセオではありません。マルケッルス劇場という古代ローマの劇場なのだそうです。車やバイクのサイズから、コロッセオよりは小さいのがわかります。

しかし建造されたのは紀元前13年ごろなので、コロッセオよりも年代は100年近く古いようです。現在は上の部分がアパートとして利用されているのだとか。

DPP_751_R DPP_752_R更に古い街並みを見ながらとことこ。

古びた石造りの建物の横に敷かれたアスファルトの上を車が行きかうというなんとも不思議な空間。

DPP_755_Rしかし欧州車はやはり良いです。日本でも未だにそこそこ走っているオールドミニクーパーですが、ヨーロッパで見るととても馴染んで見えます。

DPP_753_Rそして第一チェックポイントに到着。サンタ・マリア・イン・コスメディン教会です。今まで見てきた壮大な建物からするとこじんまりとした建物ですが、

DPP_754_Rここにはとても有名な真実の口があります。

非常に人気のある観光スポットで、早めに出発したにもかかわらず、すでにかなりの人が列をなしていました。当然皆ここに手を入れて記念撮影するのが目的です。

私はと言うと、実はそれほど興味があったわけではないので、外から撮影だけして次の目的地へ。ちなみに真実の口が置かれているのは教会の外側、柵で覆われた場所なので、横からなら並ばずに写真を撮る事が出来ます。

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今更ですが、実は7月に造形作家集団-chevalier-のメンバーで、学生時代から連れ添ってきたなかむらえりなさんと入籍しました。今回の旅行は所謂新婚旅行です。

どこかに書かなければと思いながらどこで触れていいのか分からずこの妙なタイミングになってしまいました。

実は真実の口を見たいと言いだしたのは彼女で、ローマでは彼女の好きな映画、「ローマの休日」と「天使と悪魔」に登場した場所をメインに散策します。

DPP_762_Rサンタ・マリア・イン・コスメディン教会から一度ヴェネツィア広場まで引き返して次の目的地に向かいます。

DPP_761_R古代ローマ時代のショッピングモールだそうです。大昔に、既に5階建てのショッピングモールがあったというのが、日本の同じ時代と繋げて考えるとどうにも信じられません。本当に高度な建築技術です。

ローマも写真が多いのでひとまずここまで。

イタリア旅行⑥(バチカン市国)


チヴィタを離れて昼頃にはローマに到着。

DPP_676_Rヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂を抜けてまずはランチのお店に移動。この建物についてはまた後ほど。

ランチは日本人観光客向けのお店で正直美味しくはありませんでした。・・・ので触れません。

DPP_677_R食事を済ませると現地ガイドと合流。ローマの中にある世界最小の国、バチカン市国へ向かいます。

DPP_678_Rバチカン美術館に入る際にボディーチェックはありますが、特別な入国手続きなどはありません。一国家であると言っても特殊な形態の国のため、イタリアに入国する人は入国が許されているそうです。

DPP_679_Rイヤホンガイド付きのツアーの場合はここで専用の機材を渡されます。普通は旅行会社から渡されるのですが、バチカン市国では専用の物を使う決まりなのだそうです。

DPP_680_R美術館に入る前に色々と説明を受けます。途中建物を撮影できるポイントがあり

DPP_681_R DPP_682_R DPP_683_R DPP_684_R中には多数の美術品が。

DPP_687_R DPP_686_R面白いのがこの天井。一見立体的なレリーフに見えますが、実際には騙し絵のようになった絵画です。

DPP_685_Rところどころ破損しているところもあります。

DPP_688_R多数の絵画や織物を見ながらどんどん進みます。

DPP_689_R建物一面がこのような状態で、信じられない労力が掛かっているであろうことに驚かされます。

DPP_690_R DPP_691_R甲冑のレリーフも。ヨーロッパに行ったら制作の参考に甲冑を見たいと思っていましたが、実物の甲冑は結局見られませんでした。兜だけなら売っているお店もありますが。

DPP_692_R一体この小さな国にどれほどの彫刻があるのでしょうか。

DPP_694_R DPP_693_Rレリーフもそこかしこにあります。

DPP_695_Rバチカン美術館を出てシスティーナ礼拝堂へ。

DPP_696_R DPP_697_R中にも煌びやかなレリーフや彫刻。

DPP_698_Rミケランジェロの「ピエタ」。

哀れみ、慈悲などの意味を持つイタリア語で、十字架から下ろされたキリストを抱くマリアというテーマの作品の形態です。宗教芸術では良くありますが、同じ題材で多数の作家が作品を制作しています。

その美しさに嫉妬した芸術家が破壊しようとした事件が原因で、現在はガラスに覆われています。とても残念です。

DPP_699_Rシスティーナ礼拝堂の中は薄暗く、高い屋根とドームから取り入れられた光が荘厳な空間を演出しています。

DPP_701_R私は無神論者ですが、この空間を作り上げた人々がいたことには素直に驚嘆しました。権威ある宗教建築でなければ、これほどのものは作れなかったでしょう。

DPP_702_R DPP_703_RDPP_704_R礼拝堂の中のマンホール(なのかわかりませんが)のふた。金属製で、細かい装飾が施された姿は宝飾品のようです。

DPP_705_R外に出るとバチカン市国を守るスイス衛兵の姿が。派手なデザインはミケランジェロデザインという説もありますが、どうも諸説あるようです。

写真で見ると派手な制服はこの場に合わないのではないかと思っていましたが、実際に眼にすると不思議と馴染んで見えました。交代の時以外は直立不動です。

 

DPP_706_R夜のサン・ピエトロ大聖堂。美しくライトアップされています。

DPP_707_R少し離れたほうがドームが写って綺麗なのですが、離れると石塔が写りこんでしまうので正面からは上手く撮れません。この広場の雰囲気を写真で伝えるのは少し難しいようです。

イタリア旅行⑤(チヴィタ・ディ・ヴァーニョレージョ)


フィレンツェを離れ、バスに乗りしばしのドライブ。最終目的地はイタリアの首都、古の都ローマです。

しかしその前に少し寄り道します。

DPP_648_Rバスから見える景色も歴史を感じる建物ばかり。

DPP_649_R遠くに見える街。地形自体が日本とは全く違い、ヨーロッパにいるのだと感じさせられます。DPP_650_Rこうして今は流れてしまうだけの景色の中にも、人が暮らしているのだと考えながら、

街の名前はなんというのだろうか。

どんな歴史を刻んできた街なのだろう。

どんな人が暮らしていて、どんな生活を送っているのだろう。

・・・そんな事を思っていました。

DPP_651_R城壁でしょうか。イタリアは現在では一つの国家ですが、元々はフィレンツェやシエナなど、それぞれが独立した国であったそうです。

この城壁の街も、そんな歴史があるのかもしれません。

DPP_652_Rかなり道の悪い山を登り、結構酔いながらもふもとの街に到着。

ここからは道が狭いため、観光バスでは入れません。

DPP_653_Rシャトルバスに乗るために少し歩きます。

DPP_654_Rこの街もいい雰囲気でとても気になりましたが、目的地はあくまでチヴィタなので、残念ながら見て回る時間はありませんでした。DPP_666_Rシャトルバスに乗ると5分もかからずにチヴィタ・ディ・ヴァーニョレージョに到着です。

DPP_104_R正面に見える橋が唯一の街への入り口です。切り立った崖の上に立つ外観から、天空の町とも呼ばれます。人口は20人前後の今回の旅の中でも最も小さな街です。チヴィタ2_R_R橋の左手には街が見えますが、チヴィタの周りは完全に崖になっているため、この街へ行くにはかなり迂回しなければいけないと思います。地形的に孤立しているのが分かります。DPP_665_R_R橋を渡り、坂を上って街の中へ向かいます。

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DPP_105_R橋自体は最近改装されたのか、近代的でまだ真新しい物ですが、橋を渡るととても古い石造りの街並みになります。

街の起源は驚く程古く、2500年以上のはるか昔にエトルリア人が作った街だそうです。

DPP_668_R遺跡のような入り口を潜って中へ。

DPP_106_R観光地としては日本ではあまり知られておらず、訪れる人はかなり少ないそうです。ガイドさんから見てもツアーに入っていること自体がかなり希なのだとか。

DPP_660_R_R他にも欧米の観光客はいましたが、街自体に観光地的な雰囲気はありません。田舎の村を覗いているという印象。

DPP_669_R一応最近は観光地として有名になっているので、少しだけ土産屋があるのと、レストランや宿泊施設もオープンし始めているようです。

DPP_670_R街全体が遺跡のようで、ただ歩いているだけでも吸い込まれるような魅力があります。

DPP_657_R歩いているとよく猫に出くわします。

DPP_658_RDPP_674_R 猫たちも人にとても慣れているようで、自分から擦り寄ってくるこもいます。

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ゆったりとした性格のこが多い様子。

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DPP_656_R_R塀の上に陣取っているこもいました。定位置なんでしょうか。近づいても逃げる様子もありません。

DPP_663_RDPP_109_Rどの建物も美しいのですが、外階段がある家に何故だか心惹かれます。不思議な美しさを持つバランスです。

DPP_655_R街の中心には教会があります。チヴィタ_R_Rまたしてもガタガタですがこんな感じで教会の前は広場になっています。今までの街のような活気も派手さもありませんが、質素で古い建物と静かな空間に独特の魅力があります。DPP_662_R_R小さな街なので中心通りを外れるとすぐに街の端につきあたります。正に天空に浮いているような景色です。

DPP_661_R_Rチヴィタにはもう一つ、「死にゆく町」という呼び名があります。

崖の上にあるこの町は、その台地の崩落の危険につねに晒されているのだそうです。穏やかで物悲しい、不思議な空気感の漂う街です。

DPP_664_R帰りの橋の手前にまた猫が。なんだか毛並みがぼさぼさしていてまだ子供のようです。あまり人には興味がないようでした。

とても小さな街なので、一時間もあれば一通りは見て回ることができると思います。カフェ等でゆっくりするのも魅力的です。

ちょっと一息。(お土産紹介)


ローマに入る前にちょっと一息。

写真を撮ったので各都市ごとにお土産の紹介を追記しました。ヴェネツィアンマスクに革製品など、各都市ごとに魅力的な品々が溢れていました。

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イタリア旅行④(フィレンツェ後編)


少し日があきましたが、フィレンツェ後編です。アルノ川3_R

フィレンツェを流れるアルノ川。右側に見えるのがウフィツィ美術館からも見えたヴェッキオ橋です。対岸にも高い建物が立ち並びます。

午後の散策はこの対岸地区を歩きます。DPP_439_R

橋の近くにも美しい建物が。勉強不足でこの建物が何かは分かりませんでした。DPP_441_R DPP_440_R DPP_438_R DPP_407_Rしかし沢山の彫刻が飾られています。位置的にもメディチ家関連の施設でしょうか。DPP_408_R更に歩いてヴェッキオ橋に近づきます。

イタリア語でポンテ・ヴェッキオ(Ponte Vecchio)古い橋を意味する名前の通り、イタリア最古の橋だそうです。

その昔、フィレンツェ市によってこの通りには肉屋が集められていました。しかしあまりの悪臭からフェルディナンド1世が肉屋を撤去させ、代わりに宝石店を集めさせました。DPP_409_R

それから現在まで、ヴェッキオ橋の上は多数の宝石店が両側に軒を連ねています。アルノ川_R

橋の上のヴァザーリの回廊は、当時メディチ家の人々が、左岸に位置する住居であるピッティ宮殿と仕事場である現在のウフィツィ美術館を行き来するのに使っていました。

橋の上から。ヴェッキオ橋は川の氾濫などで何度か建て直されているそうですが、現在の物は1345年に再建され、大戦中も破壊は免れたようです。DPP_442_R

橋の中央にはヴェンヴェヌート・チェッリーニの胸像。ルネサンス期の画家、彫金師、彫刻家、音楽家など、多彩な能力を発揮した人物だそうです。DPP_445_R

アルノ川左岸の地区はオルトラノと言い、古くから職人が多く住む街だそうですが、橋の近くの通りはまだ土産屋も多く賑わっています。DPP_411_R

あちこちの土産屋を覗きながら、しばらく歩くとピッティ宮殿にたどり着きました。ちなみに、左岸の散策は完全にノープランで歩いていました。DPP_446_R

しばらく歩くと観光コースからはずれたのか、人が少なくなってきました。DPP_443_R

このあたりは住宅街でしょうか。DPP_444_R

途中真鍮の職人さんの工房がありました。工房に所狭しと並ぶ細工の細かさは息を呑む出来でした。

しかし残念なことに遠慮して写真は撮れず。他にも革や、額の工房があったようです。

純粋に職人の住む地区ということもあってか、お店というよりは仕事場としての工房に、少し商品として並べて売っているというお店が多いようです。DPP_447_R

色々と見れたのですが、お店を全然撮っていなかったので写真的に物足りなくなってしまいまいした。

以前聞いた話では「本当のフィレンツェを見たければオルトラノを見るといい」という言葉があるそうで、職人たちが長い年月を掛けて築き上げてきた技術が、今のフィレンツェを作り上げる礎となっているという事なのでしょう。今度行く時はもっとじっくりとお店を調べて回りたいです。

左岸の街を一周ぐるっと回って、再びアルノ川を越えてフィレンツェ中心へ戻ります。DPP_448_R

帰りに渡った橋の辺りは歴史地区ではないらしく、アスファルトが敷かれ、バスが走る所もありました。DPP_450_R

この辺りはブランドショップの集まる地区らしく、バーバリーやティファニーなどの有名なお店が立ち並んでいました。DPP_449_R

なんだか洒落た通りです。DPP_414_R

店頭のディスプレイの大きなチェスメン。確かカトラリー屋さんでした。DPP_416_R

お店の通りを抜けて、広場に出るとメリーゴーラウンドがありました。DPP_419_R

もう足も棒になって来たころで、いい雰囲気の玩具店を発見しました。店頭に可愛い海賊が見えます。DPP_418_R

これはお隣の国ドイツのプレイモービルという玩具のディスプレイ。

プレイモービルはレゴ的な様々な職業のフィギュアと、付属品がリリースされている玩具です。ドイツらしい質実剛健な作りで、多少乱暴に扱っても壊れにくい堅牢さがあります。中世の騎士、海賊、ナポレオンのような時代のデザインのものもあり、大好きなシリーズです。

チェス映画「ボビー・フィッシャーを探して」では、主人公の少年ジョシュ・ウェイツキンが、最初にチェスに興味を持った時にこの玩具でチェスセットを再現して遊んでいました。残念ながら日本ではレゴほどはメジャーではないのか、あまり大々的に扱っているショップは見かけません。ドールハウスやお城などの大型商品もあります。

玩具店の中は驚くほど広く、入り口からは想像出来ませんでしたが、日本のトイザラスくらいの広さがあったと思います。品揃えも幅広く、プレイモービル、ミニカー、スロットカーにチェスなどのボードゲーム。とてもわくわくする店内でした。DPP_420_R

玩具店を堪能したら、夕日に染まるサンタマリアデルフィオーレ大聖堂を見ながらホテルへと帰ります。

途中に0.99ユーロショップというのがありました。日本で言う100円ショップのようなもので、商品の大部分は中国産の安価なものらしいのですが、中にはドイツのグミ「ハリボー」や、大きいサイズのペットボトルの水もあり、全て均一価格でかなりの割安です。ヨーロッパに行くと水は買うもので結構馬鹿にならないので、見つけたらお水だけでも買っておくと助かると思います。

フィレンツェで購入したお土産紹介。DPP_458_Rフィレンツェは革工芸が有名な街です。街のいたるところに革製品を扱うお店や露店がみられます。

DPP_456_R日が暮れる頃、閉店ぎりぎりの時間になって立ち寄ったバザールの中にあった革製品のお店で見つけたとても凝った手帳。値段もかなり手頃でした。

DPP_457_R細かい模様が入っていて重厚な雰囲気です。

中の手帳を交換できる物と出来ないものがあったのですが、考えた末に交換可能なものにしました。こちらの方が値段は少し上がります。

サイズも小さい物から大きな物まで豊富に取り揃えていました。

DPP_459_R変わった形ですが、これは小銭入れです。しっかりとした革で作られていて、使い勝手も良く、お土産に最適です。二個セットの場合が多いので、自分用とお土産用にしました。

DPP_467_R左からマグネット、ピンバッチ、キーホルダー。全てフィレンツェのシンボル、リリー(ユリ)のデザインです。DPP_491_R

玩具店で購入した騎士のミニフィギュアセット。

DPP_490_R購入したのは十字軍のセット。これはランスチャージをする騎士のフィギュア。

DPP_493_R結構ツボを突いたデザインの物が多く、旗を掲げるものや

DPP_492_R十字架を掲げるものなど、十字軍の雰囲気をよく表現していると思います。もっと色んな種類が欲しいくらいです。

DPP_487_Rそしてこちらは0.99ユーロショップにあった陶器製のキングとクイーンのチェスメン型の置物。

DPP_488_R普通の駒と比較するとこの通り。かなり大きいです。かさばるので自分用の物しか購入しませんでしたが、お土産にもいいかもしれません。恐らくイタリア製ではないと思いますが。

 

革製品もやはり中国製の物が多くあるそうです。客引きをしているような露天の物は安いですが、イタリア製でないものも多いので注意が必要です。

イタリア旅行④(フィレンツェ中編)


ホテルで一泊して、次の日は朝からフィレンツェの街並みを散策しました。

DPP_415_Rこのフィレンツェも、今までの街と同じく、やはり古い街並みが残されています。

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しかし他の街と違うのは、車やバイクが多いということ。イタリアでは歴史地区の景観保護に力を入れているため、新たに駐車場を作る事が難しく、正式に許可を取って路上に車を置く事が許されているそうです。

一部の家は、昔馬小屋として使っていた場所を改装して駐車場として使っているそうですが、それもほんの一部で、愛車を車庫に入れて保管したくても中々出来ない現実があるようです。フィレンツェ市街_R

少し歩くとサンタクローチェ教会のある広場に出ました。

DPP_388_Rフィレンツェの街は観光用の馬車も走っています。大きな広場に行くと、お客さんを待つ馬車が待機していたりします。この馬車は何かの番組の撮影でしょうか。DPP_387_R

立派な建物。ヴェッキオ宮殿です。午前中の目的地はこの建物に隣接する建物。

メディチ家の収集した美術品を中心に、膨大な収蔵品の数を誇るウフィツィ美術館です。

中の収蔵品に関しては、保護の観点から撮影は出来ませんでしたが、宗教画、メディチの人々の肖像画、彫刻など、歴史的価値は計り知れないほどの品ばかりが展示されています。建物の見事さからも、当時のメディチ家の強大な力が見て取れます。ちなみにイタリア語のウフィツィとは英語のオフィスの語源にあたる言葉で、元は庁舎だった事に由来するようです。DPP_389_R

建物からはヴェッキオ橋を撮影できるポイントがあります。美術品は撮影禁止ですが、この窓から風景を撮る分には構わないとのこと。

ヴェッキオ橋の上の部分は回廊になっており、当時はメディチ家の人々が民衆に出会うことなく移動するために使ったそうです。DPP_390_R

建物の外にもこのような回廊が見られます。利便性のためでもありますが、当時巨大な権力を誇った一族だけに、暗殺などのリスクには常に注意を払わなければならなかったのだそうです。DPP_396_R DPP_393_R DPP_392_R DPP_391_R DPP_386_R

芸術の都と呼ばれるだけあって、街のいたるところに彫刻が並びます。町全体が巨大な美術館かのようです。DPP_399_R

ウフィツィ美術館の次は有名なサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂へ。

この特徴的なオレンジ色のドゥオモ(ドームと同じ意味)には上る事が出来ます。細い階段を延々のぼり続ける大変な作業になりますが、頂上のクーポラからはフィレンツェの街一望という絶景が見えるそうです。

大学に入る少し前、なんとなく目に付いて読んだ「冷静と情熱のあいだ」という小説で、このドゥオモが重要な舞台となっていました。江國香織と辻仁成がそれぞれ女性主人公と男性主人公の視点から同じ物語を綴るという面白い試みで作られた作品です。

有名な作品だという事も、有名な作家だという事も当時は全く知りませんでしたが、繊細なストーリィに引き込まれ、女性視点であるロッソを読んだ後に、姉妹篇であるブリュの存在を知りすぐに読みました。とても好きな作品です。

 

私が読む数年前に既に映画化もされていました。しかし映画に関してはキャスティングに大きな不満があるので触れません。DPP_406_R

真下からだとカメラに入りきらない巨大な建造物です。DPP_405_RDPP_404_R DPP_403_RDPP_402_R DPP_401_R DPP_400_R

ウフィツィ美術館も、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂も本来はかなり並ぶそうですが、ツアーではすぐに入ることが出来ます。ツアー旅行は時間的な制限などはありますが、この点は大きなメリットでした。

しかし肝心のドゥオモは、とんでもない行列が出来ていて、午後の自由時間の配分を考えて上るのは断念しました。

夏はベストシーズンで人も多く、また上るのには大変な時間と体力も必要とあって、真夏の日差しの中で上るのはかなり覚悟がいるそうです。

冬は人も少ないそうなので、上るなら冬に来よう、と思いました。

大聖堂を出ると本来はツアーグループで食事の予定でしたが、少しでも自由時間を多くとりたかったため、食事は参加せずに別行動する事にしました。

ツアーガイドは別行動を嫌う事が多いと聞いていましたが、今回のガイドさんは嫌な顔をするどころか、別行動を薦めてくれたのでとても助かりました。語学にも堪能で、とても頼りになる方でした。

・・・と今日はここまで。後編はヴェッキオ橋を渡り、職人も多く住まうアルノ川の左岸へ向かいます。